科学者ほどもにょる 〜ニセ科学がなんで魅力的に聞こえるのか?ニセ科学に引っかからないようにする方法教えます〜

科学者ほど歯切れの悪い物言いをする歯科医こぼれ話

「〇〇に効きます!」ってズバッと言ってくれてるお医者さんや健康食品って良く糾弾されてるけど、反論してる専門家って、ハッキリ「違う!」って言わないし、反論の内容も歯に何かが挟まったみたいな?まどろっこしくて何が言いたいのか分からない。。違うんだったら違うって言えばいいのに言わないって事は自信がないんじゃないの?ますますハッキリ言う人のほうが正しく聞こえるわ。」

こんにちはー、Dr.Denです。今日は歯科の世界からちょっと離れて、以前から気になっていた、”ニセ科学がどうして魅力的に聞こえるのか”ということについて私なりに考察してみたいと思います。

最近でしたら小林真央さんが治療法を標準療法以外のものを選択していた件、少し前なら小保方さんの論文、福島原発の安全性についての伝え方…。

専門家はこれはおかしい!と思って、たくさん反論、発言をします。

しかし、その専門家の方話し方って…。なんか”もにょってる”っていうか…。

本当に知りたいこと、例えばそもそもそれが間違っているのか安全なのか、どうすればいいのかなどは触れられなかったり、言っていたとしてもとても回りくどく聞こえる言い方で、途中まで聞いてても訳が分からなくなってしまったりすることが多くありませんか?

本当に間違ってるんだったらそう言ったらいいのに?

でも実は現在の科学に忠実な専門家であればあるほどそういう事は出来なくなってしまうんです。その理由をいまからご説明します

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科学者はトレーニングを受ける

科学者、ここでいう科学者は、主に理系の分野で、大学から大学院に入り、実験などの研究を行い、学会に入り、コンスタントに論文を出している人、出したことのある人、、を想定しています。

大学院で学ぶことは専攻によって千差万別ですが、おそらくどの大学院に行っても一貫して学ぶ項目があります。それは授業という形の場合もあるでしょうし、大学院で学んで研究結果をまとめて形にする段階で、実践として学ぶ場合もあるかと思います。

それは何かというと、論理的な思考です。

論理的な思考って?

ではなんで論理的な思考がいるのでしょう?

科学というのは積み上げることによって発展してきています。積み上げるのは実験などを通じて得られた新しい発見です。科学は、古い発見を基に今の現象を考察し、新しい仮定を設定し、実験によって実証することによって新しい発見を見つけます。

しかし、この新しい発見を新しい発見とする時に、自分の思い込みや試していないけど多分これ合ってるに違いない、という推測が混じりこんでしまうと、もしその思い込みや推測が間違っているとき、それを元に新たな新しい発見をしようとしても、いつかどこかで間違ったことが起こります。

科学では、それはあってはならないことなので、自分の思い込みや思い付き、試していない推測などが入り込まないように細心の注意を払っています。

そうでないと結局どこがでうまくいかなくなった時に、どこがダウトか見つけるのに労力が半端なく要ります。結局、最短で科学を積み上げていくには、噓をつかない(=確かめずに本当だ!と言わない)、本当のことだけをする。それが一番近道なんです。

そして、それを達成するために、考え方から、思い込みや嘘が入らないように物事を判断しています。それが論理的思考です。

どんなものかとざっくりいうと、

何か物事を考えるとき、「自分の心情ではなく、客観的な事実や情報を基準として考える」方法です。

物事を伝えるとき、よくあるのは「自分は〇〇だと思って」という表現を使うかと思いますが、論理的思考の元では、では〇〇だと思ったのにはどういう客観的な根拠でそう思ったのかが問われます。常に以前どこかでちゃんと証明された結果、もしくは事実を使うのです。今思ったことが以前ちゃんとどこかで証明された結果や事実だったら、そこからの積み上げは全部嘘や思い付きのないものになります。そうでないとしたらどこかに不正確なものが混じってくるので、正しくなくなってきます。こういう風に正しいものを積み上げて話を展開していく方法です。

 

なので、科学者の門を叩いてまもない頃は、

「自分はこれが正しいと思って・・・」という論調で持論を展開する人も、

「君が正しいと思っているかどうかはどっちでもいいけどそれを示す客観的な根拠ってなによ」というやり取りをいやというほど経験して

自分の考え方を証明するには客観的な実験結果やデータを使って自分の研究の話を進めていくようになります。

実はこの、論理的思考で考えていくと「断言」というのがとても難しくなります。これとこれの関係性に関しては客観的な事実をとおして証明されたとしても、それを一般的な事柄に当てはめるのはとても難しく、証明するには膨大な検証が必要になるからです。

 

一般の人が科学に望んでいるもの‥万能感や断言してくれる感じ

こんなふうに科学を煮しめていった人になればなるほど、その物言いに自分の考えは含まれなくなってきて、代わりにこっちから聞いてもいない難しい数字やデータが示されて、しかも、全部をそうだ、違うと断言もしてくれず、「この点に関しては関連性があることが示された」など、で、結局どっちやねん!という返答しかしてくれなくなります。

ところが一方、一般の人が科学に持っているイメージって・・・

なんだか分からないけどすごく頭のいい人が画期的なものを発明・発見して、これはこうだ!って言って断言してくれて、分からない私たちを導いてくれる感じ

ではないでしょうか?確かに携帯電話(スマホ)一つとってもここ20年でものすごい勢いで画期的になっていって、その様子をみると、数少ない天才がすごい思い付きで何かを考えて、こうだ、って思って進めて今の世の中ができているように錯覚するかもしれませんが、結局、テクノロジーの進化も、誰かが積み上げた小さい、しかし嘘のない新しい発見をすごい勢いで積み上げた結果なのです。

しかし、科学の発展のスピードを見て舞台裏を知らなかったらどうしても万能なものというイメージを持ってしまうのかもしれません。

一般の人の考えている、なんだか断言してくれて万能な感じの科学≠実際の地味な物言いしかできない科学

こういう、一般の人が考えている、なんだか万能感があって、自分の意志をしっかりと持ち断言してくれて、未来感があって、わくわくするような科学は実はどこにもありません。実際の科学はとても地味で、自分の考えも全然言わないからしゃべっているのを聞いていてもどこか他人事みたいだし、聞きもしないのにデータとか見せてくるし、これでこんな結果がでてくるんだったら似た〇〇でもできるんじゃないの?とか聞いたら、いや、これは試してないからできません、とか。なんだか聞けば聞くほど思っていたことより出来ることが限られるし、なんとも気持ちが萎える物言いしかできません。

なぜなら、科学の世界に身を投じた時点で論理的な考え方、物言いを正しくするトレーニングをみっちり受けているのでこういう言い方になりますし、そもそも検証されていないことを一般の人にさも事実のように話すのには(専門家同士でのディスカッションの中ではあるかもしれませんが)とても罪悪感を感じるのです。

どちらかといえばニセ科学(論理的なトレーニングを受けていない人の物言い)のほうが断言してくれてて科学っぽい。真実を伝える力と共感を得られる力は相関しない。

それに比べて、こういう論理的なトレーニング受けていない人は、自分の思い込みや推測と客観的な事実との線引きが曖昧になっている人が多いです。

残念なことにここの自分の推測と客観的な事実が曖昧な人の話って、とても情熱的で大胆で、今までに聞いたことのない新しい方法を提案してくれて、他の人にやり方も、あれはダメだ!って断言してくれて…。って、実は私たちが暗に科学者に求めている像にぴったりなんですよね。

こういう言い方、巷に溢れていませんか?

俗にいうエセ科学、もしかしてこういう言い方していませんか?

私も科学者の端くれでしたので、断言はしませんが、エセ科学で息巻いている人たちは、このような科学的なトレーニングを受けていない印象があります。そして、科学の一端を垣間見て思うのですが

「すごいことはそんな一朝一夕にはできないよ」

論理的思考は地味で、人を惹きつける魅力はありませんが嘘を見抜く力は養われます。

私が思うのはエセ科学、本当にそれが正しかったら全然存在していても構わないのですが、多くのエセ科学はどこか論理に破綻があったり、証明されている事実からはここまでは言えないな…。というものが大半なように思います。

断言している科学(っぽいもの)を見るときは自分の目で確かめて!

エセ科学の困ったところは、その内容を一般の人が実践した場合、健康被害などの生活に害を及ぼす可能性が高いものが多いところにあります。だからこそ鵜呑みにしないで信じる前に1回確かめて欲しいのです。あなたの健康を守るためにも。

論理的思考はそこまで難しいものでありません。

少なくとも、科学的な文章に於いて、その人の書く自分の思いや推測と客観的な事実がごっちゃになっている文章が要注意です。

また、エセ科学がよく使うデータの説明において、相関関係が高い(これとこれは関連性が高い(例:この食品は体重減少と関連性が高い))ものを因果関係(これがこれに効く!(例:これを食べるとやせる!))にすり替える方法などはよくある常套手段です。

それ以外も、今から挙げる項目をチェックするだけでも「あ、あやしい・・。」と分かるので、ぜひ使ってみてください。

試験している人数が少ない

基本的に統計解析でこれは効く!と言えるには最低30人くらいはデータが必要です。これより少ないデータで何か言おうとしている人たちは本気で結果を出そうとしていません。

身内(効くと思っている人)だけでやっている

なにか試験をする時は、プラセボ効果、という、何も効果のないものであっても摂取することによって効果が出る気になって、実際いいデータが出てしまうものです。その上結果を出そう!と考えている人ばかりで試験をすると結果に偏りがでます。

摂取していない人の群を設定していない

本当に差を証明したいのであれば、その食品を摂取していない人にも同様の試験をおこない、結果を判断すべきです。例えばダイエット食品の試験で体重が白昼の下にさらされるのであれば、それだけで体重が減る人も出てきます。

きちんと統計解析していない

ざっと平均だけ取って減った増えたという事も出来ますが、本当のところ、試験されるのは人間なので、個人間でばらつきが大きいです。こういうばらつきを是正するために統計解析があります。本当にそれが効果があるものであるのなら、そのあたりも考慮して結果を出すべきです。

 

いかがでしたか?ちょっと硬い話になってしまいましたが、知ってると何かに役立つかも?

世の中色々な情報があふれている現在、ご自身の目で選ぶのに少しでもお手伝い出来たら幸いです~!